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東京高等裁判所 昭和30年(う)3416号 判決

控訴人 被告人 笈川孝史 外一名

弁護人 桑名邦雄 外一名

検察官 池田浩三

主文

被告人両名の本件控訴は、いづれもこれを棄却する。

理由

本件控訴の趣意は末尾添附の、被告人両名の弁護人桑名邦雄、被告人笈川の弁護人渡辺卓郎提出の控訴趣意書被告人笈川の弁護人渡辺卓郎提出の控訴趣意補充書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。

被告人両名の弁護人桑名邦雄の控訴趣意第一点乃至第四点、被告人笈川孝史の弁護人渡辺卓郎の控訴趣意第一点及び同弁護人の控訴趣意補充書の論旨について。

原判決の認定した被告人両名の強盗傷人の事実は、原判決引用の証拠によりこれを認めるに足り、記録を精査検討し当審における事実取調の結果に徴しても、原判決の右事実の認定が所論のように誤認であることを窺うことができない。被告人等に対する本件起訴状記載の公訴事実には「被告人両名は自動車運転者より金員を強奪せんことを共謀し」とのみ示されてあり、原判決の事実摘示には「被告人両名は、共謀して自動車運転者を襲い、その頸部を絞めて金員を強奪しようと企て」と判示されていることは所論のとおりである。しかし起訴状に記載する公訴事実中に共謀にかかる犯行であることを示すべき場合には、その共謀の具体的内容を明示することを要しないのであるから、本件起訴状記載の公訴事実中に右のような程度に掲記されていても、これによつて共謀にかかる犯行であることを示すに足るものであり、原判決がこれに対し右のように判示しているのは、その挙示する証拠によりその事実を認定することができるので、公訴事実に示されている共謀の内容を稍具体的に判示したに過ぎないものと認められ、もとより起訴状記載の公訴事実の範囲を超える事実を認定しているものということはできない。被告人両名の原審公判廷における供述中、論旨摘録の供述部分は、原裁判所が爾余の原判決引用の証拠に徴し措信しなかつたものと認められる。又原判決は「被告人笈川は拾つた手拭を縦に裂いて犯行の用意をしながら」と判示しているが、原判決引用の証拠によれば、手拭を拾つたのは、被告人手塚二郎であることが認められることは所論のとおりであつて、判文いささか不正確の嫌を免かれないが挙示の証拠と対照すれば、原判決の右の部分の判示は被告人笈川が手拭を拾つてこれを縦に裂いたことを認定した趣旨ではなく、同被告人が手拭を縦に裂いて犯行の用意をしたものであること及びその手拭は被告人両名の所有していたものではなく犯行場所を物色中拾得した手拭であることを認定している趣旨であると解するに難くないのである。しこうして原判決は所論のように被告人両名の原判示所為を強盗傷人罪の既遂を以て論じているのであるが、被告人両名はそれぞれ原判示暴行を加え金員を強奪しようとしたが、被害者である自動車運転者佐山由雄が抵抗したため乗車賃九〇円の支払をしないでその儘逃走したものであることは、原判決引用の証拠によつて認められ、右佐山由雄がその際右暴行により原判示傷害を受けたものであることも亦、原判決の引用する医師中村努作成の診断書、佐山由雄の司法警察員に対する供述調書によりこれを認めることができるのであつて、被告人等が自己の意思により犯行を中止したため強盗が未遂に終つたものと認めるべき証拠はないし、佐山由雄の受けた右の程度の傷害は強盗傷人罪について特に重刑が規定されている所論の理由から考えても、これを法的評価に入れることのできない軽微な傷害であるということはできない。そもそも強盗傷人罪は強盗に着手した者が、強盗の実行中又はその機会において、その手段である行為若しくはその他の行為により人に傷害の結果を発生せしめることによつて成立し、その際財物の奪取が未遂に終つたときにおいても強盗傷人罪は既遂を以て論ずべきものと解すべきであるから、原判決が被告人両名の原判示所為に対し強盗傷人罪の既遂として処断しているのは正当であり、所論のように刑法第二四〇条の濫用でもなければ、著しく苛酷で正義に違反するものということもできない。所論の同法第二四三条の未遂罪の規定は、同法第二四〇条に関しては、同条後段の罪のうち殺人の故意があつてその目的を遂げなかつたときに適用されるべき規定であると解すべきものである。しからば原判決には所論のような事実誤認又は法令適用の誤はなく論旨はいずれも理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)

弁護人桑名邦雄の控訴趣意

第一点原判決は、其犯行事実を、「被告人等は、特殊飲食店において雑談中、遊興費に窮したため、共謀して自動車運転者を襲い、頸部を絞めて、金員を強奪しようと企て、同日夜おそく連れ立つて、適当な犯行場所を捜し求めて」、と判示すれども、(1)  本件起訴状には、「被告人両名は、自動車運転者より、金員を強奪せん事を共謀し」、とのみの記載であつて、頸部を絞めて金員を強奪しようと共謀した点までは、求めておらないのみならず、(2)  原審公判廷の、被告人笈川孝史冐頭陳述は、「私は運転手から、金を奪うつもりはない。ただ逃げるつもりで運転手に乱暴した」(十七丁)、とあり、(3)  尚、原審公判廷の、被告人手塚二郎冐頭陳述には「前に自動車強盗をするという相談はしましたが、その時附合つてふらふらと歩きかけて、自動車強盗をしようという意思はありません」(十七丁)、とあり、(4)  且、被告人笈川の事実供述には、「犯行の際は運転手から、金を奪い取る気持はなく、逃げるつもりであつた(三十七丁)」、とあり、(5)  被告人手塚の事実供述には「笈川が手拭で運転手の首を引張つてる間に、被告人手塚は助手台に行くと、進行方向から車が前進して来たので、私は自分で悪いことをしたなと感じて、車が通り過ぎた時に、車外に逃げ出した(三十九丁裏)」、とあり、要するに、頸部を絞めて金員を強奪しようとの、具体的共謀事実が存在しないに拘らず、原判決は、被告人等の不利な事実を、殊更に作り上げて、以て認定したことは、違法で不服である。仍て控訴の理由とする。

第二点原判決は、其犯行事実摘示の部に於て、「被告人笈川は、拾つた手拭を縦に裂いて犯行の用意をしながら、東京都中野附近を歩くうち、被告人手塚は、次第にその実行に躊躇を感じ、一時中止して帰宅しようと考えたものの、云云」即ち、犯行の用に供した手拭は、被告人笈川孝史が拾つたと判示しておるが、全く事実に相違するものである。其立証として、原審公判廷の被告人笈川孝史の供述(三十七丁裏)、「証拠の手拭は、手塚が拾つたので、私が使つたのであります」。尚、被告人手塚二郎の、司法官に対する聴取書に於ても、被告人手塚自身が歩いておる途中に拾つたことの記載がある。これ要するに、本件犯行に最も重要な手拭の入手に関する誤認は、被告人に対する刑の量定に甚だ影響するところであるから、原判決は誠に措信し難く不服である。依つて控訴の理由の一とする。

第三点原判決は、其犯行事実摘示の部に於て、更に、「被告人手塚は客席から助手台に乗り移つて、運転手の口を手で塞ぐ等、暴行を加えて、金員を強奪しようとしたが同人に抵抗されたため、乗車賃九十円の支払を為さずそのまま逃走し」、と判示すれども、(1) 第一点(3) に記載の通り、被告人手塚二郎は、冐頭陳述に於て「自動車強盗をしようという意思はありません」、と実感を供述しており、(2)  被告人笈川の、原公判の事実審理に於て、容易に金を強盗出来なかつた事情でもあるのかの問に対し、「その時は金を強奪する気持はなかつたのです(三十八丁)」、の記載があり、(3)  其他の全証拠を以てするも、被告人手塚が、金員を強奪しようとした様子が顕われておらないのである。要するに、判示の「金員を強奪しようとした」事実は証拠が欠缺しておる、依つて証拠に依らざる犯行事実の認定は、違法であり、然らざるとせば事実誤認の不法の裁判であるから、破棄を免れない。されば控訴の理由の一とする。

第四点本件犯行は全証拠を以てして、両被告人とも途中で逃走したのであつて原審の弁護人の弁論にある通り(十八丁裏)(1)  無断で、先に逃走した被告人手塚に関しては、明らかに中止犯である。立証とし、前掲第一点(5) 記載、被告人手塚の供述、「私が逃げてから少しして笈川も逃げた。」(四十丁)(2)  仮りに然らずとしても両被告人としては確かに未遂犯である。然るに拘らず、原審裁判は、其等判断を為さないことは、判断を遺漏した不法の裁判であり、或は、事実誤認の違法の裁判である。仍て控訴の理由の一とする。

(その他の控訴趣意は省略する。)

弁護人渡辺卓郎の控訴趣意

第一点一、原判決は、「被告人笈川及び手塚は共謀して自動車運転者を襲いその頸部を絞めて金員を強奪しようと企て、昭和三十年八月三日午前零時二十五分頃、中野区本町通り三丁目附近から佐山由雄の運転する営業用小型自動車に客を装つて乗車し、同区桃園町五番地先路上に於て被告人笈川は運転者に対し停車を命ずると同時に日本手拭で同人の頸部を後方から絞め、被告人手塚は同人の口を塞ぐ等の暴行を加え、強盗しようとしたが、抵抗されたため乗車賃九十円の支払をなさず、そのまま逃走し、その際右暴行により同人に対し全治三日間を要する口腔膜切傷等の傷害を負わせた」との事実を認定し、右事実について強盗傷人(刑法第二百四十条)を適用した。よつて、記録を調べてみると、被告人等は自動車運転者より金員を強取せんとして運転者に暴行を加えたが、その中途に於て自己の意思に基き犯意を抛棄して強盗を思い止り、先ず手塚が逃げ出し、続いて笈川も逃走したものである事実が認められ、基本たる強盗罪は中止犯と認めらるべきものであり、仮りに然らずとするも未遂犯たることは明らかである。

二、原判決は「被告人等の暴行により傷害の結果が発生せしめた以上は自己の意思によつて財物奪取行為を中止したとしても強盗傷人の罪責を免れない」と為すのであるが、凡そ刑法第二四〇条(強盗致死、強盗致傷罪)が、刑法第二三六条(強盗罪)の手段たる暴行により重き結果の発生した場合につき特に刑の加重を規定している所以は蓋し強盗の機会に残虐なる結果が伴う場合を考慮しその社会的危険性の重大性を慮り、特に無期懲役又は七年以上(致死の場合は死刑又は無期懲役)という重い刑罰を科し、もつて社会を防衛せんとする政策的企図に出でたものと察せられ、結果的加重犯たる強盗傷人罪が厳罰をもつて臨んでいる刑法的評価から云うならば本件の程度の傷害は法の予想したところでなく、右の評価の範疇に入らないものというべきである。即ち強盗の手段たる暴力行使とは相手方の身体又はその意思を制圧して反抗を抑圧する程度たることを要する(最高裁判所昭和二四年二月八日集三、七五頁参照、この程度に至らない場合は恐喝罪たるにすぎない)ものであるから、抵抗抑圧の際、之に随伴して必然的に伴う軽微な傷害の如きは強盗傷人の法的評価の範疇に入れることを得ないものと云わねばならないと信ぜられるからである。本件の被告人等の強盗行為によつて生じた傷害は原審に於ては争つていないが極めて軽微なものであつたと認められる。成程医師中村努作成の診断書の記載によれば傷害の結果の発生したものの如くであるが、その程度は極めて軽微なものあり、全治三日間も要する傷害とは到底考えられないし、右膝関節擦過傷と云い、軽度の皮下出血と云い、口唇部粘膜約五粍の切傷と云い、会厭軟骨軽度の圧痛と云い、何れも抵抗に必然的に伴う痕跡であつて特に傷害と同すべきものではない。原判決が基本たる強盗を中止犯若しくは未遂たることを認めつつも、かかる軽微な傷害をもつて全治三日の傷害として強盗の結果的加重犯たる強盗傷人罪をもつて処断したのは事実の誤認たると共に法律の適用を誤つたものと云うべきである。

補充書

一、原判決は、被告人両名が強盗に着手し運転手に暴行を加え傷害の結果を生ぜしめた以上、たとえ自己の意思によつて財物奪取行為を中止したとしても強盗傷人の罪責を免れない旨を判示し、本件につき、刑法第二百四十条(強盗致傷)を適用したものである。強盗致死、又は強盗致傷の罪の成立については、基本たる強盗そのものが既遂であると未遂であるとを問わず、未遂の場合でも強盗致傷の既遂をもつて論ずるというのが、最高裁判所の判例(昭和二三年六月一二日第二小法廷判決刑集二巻七号六七六頁)でもある。しかしながら、刑法二四三条は二三八条(事後強盗)および二四〇条(強盗傷人)の未遂罪について規定している。窃盗犯人又は強盗犯人が財物を奪取するに至らなかつたときは二三八条および二四〇条の未遂をもつて論ずべきものであると本弁護人は主張する。何故ならば、窃盗犯人が財物を得ないで逮捕を免れ若しくは罪跡を湮滅する為暴行又は脅迫をしたと言うような場合には、二三八条(事後強盗)の未遂罪を以て論じなければならないのである。若しこれを二三八条の既遂をもつて論ずるならば二三六条(強盗)の本来の強盗が未遂に終つた場合よりも重く罰せられることになる。これは明らかに刑罰の権衡を失するのである。この点は大審院の判例もはつきりこれを承認しているのである。(大、明治四二年一〇月一五日録一五輯一三〇頁)二三八条の事後強盗の場合に於て窃盗の未遂と既遂とを区別するならば、二四〇条の場合に於ても強盗の既遂と未遂とを区別するのが論理的であると信ずるからである。然るに右の論理を排斥して強盗致傷又は強盗致死の場合には強盗そのものの既遂と未遂とを問わぬのだという見解におもむかせる契機はどこにあるのか。本件に於ける強盗は未遂に終つたものであることは明瞭である。或は「乗車賃九十円の支払を為さずそのまま逃亡し」たことについては強盗罪の成立をさまたげないと言うかもしれない。しかしながら、右は強盗を思い止り逃走せんとの意思から他に方法なく止むを得ず為したものであり、右の行為は期待可能性なく被告人等に犯意を認むべきものがない。従つてこの点について強盗と言うことは強弁である。本件の強盗は未遂に終つたものである。この場合刑法第二四三条、二四〇条を適用して強盗致傷の罪の未遂犯として処断すべきである。若し、原審の見解等によるならば、強盗致傷の未遂罪というものは全く存在しないこととなるのである。何故ならば、強盗が傷害の意思をもつて暴行したが傷害するに至らなかつたときは単純なる強盗となり、強盗致傷とはならないからである。

二、原判決は全治三日間を要する口腔内膜切傷、右膝関節擦過傷及び皮下出血を伴う頸部紋扼等の傷害を負わせたと認定している。原審に於てはこの傷害の程度については何等争つていないところであるが、医師中村努作成の診断書の記載によれば、右皮下出血は軽度の皮下出血と記載され、口腔(口唇部)粘膜約五粍の切傷と記載されているのであり、又右膝関節擦過傷については、佐山由雄の昭和三十年八月三日附司法警察員に対する供述調書によれば「どうしてつけたか判らない」旨の記載がなされて居る。この傷害の程度は全治三日間を要するものとは到底考えられないものである。(この点について当審に於て佐山由雄を証人として御取調られ度く申請する)強盗の手段たる暴力行使により相手方の身体又はその意思を制圧し反抗を抑圧する際に必然的に伴う軽微な暴力の痕跡とも言うべきものに対し、刑法二四〇条の重罰を科することは同条の濫用であり、同条の傷害の範疇を脱しているもので著しく苛酷であり、正義に違反するものである。

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